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椎間板ヘルニアの闘病記|退職・転職・休職の体験談まとめ

重度の腰痛、ヘルニアを発症したことで出勤できない….。

悩んだ末に転職を決意した方もいれば、長い休職期間を経て職場復帰された方もいます。

 

私自身、腰椎椎間板ヘルニアを発症し、半年間休職して療養しましたが、「元のように歩けるようになるのか。仕事には戻れるのか。」と、痛みと今後の不安でいっぱいでした。

その療養中に様々なブログを読み漁り、同じ境遇の人がいるというだけで、苦しいのは自分だけではないと思えて救われたので、様々な職種や年齢、性別の方からお聞きした話をまとめました。

今現在、闘病中の方の心の支えとなりましたら幸いです。

 

まずは筆者自身の体験談を紹介

ヘルニアで転職を決意しました!今の職場で定年まで働き続けられますか?
椎間板ヘルニアが原因で退職した筆者の体験談で、当時の会社とのやり取りや退職に至るまでの経緯、心境の変化を書いています。ヘルニア腰痛持ちの方で転職・退職を検討しているなら参考にしてください。
管理人自身のヘルニア闘病記
椎間板ヘルニアを発症してから、無理して仕事を続け休職。辛い療養生活を耐えて転職を決断したまでの体験談です。ヘルニアや怪我が原因で、転職・退職を検討している人への道しるべになれれば幸いです。

 

それぞれの体験談

ヘルニアになり休職中。不安で転職に踏み切れない。 30代男性 建築業

高校卒業後から仕事を転々として、今の仕事に落ち着き現在4年目です。

高卒で選べる職種と言えば肉体労働の仕事がほとんどで、慢性的な腰痛に悩まされていました。

ある日、いつもとは違う痛みが走り、腰がすごく重くて立っているのも辛い程でした。仕事に出るのも困難で、休みをもらい病院へいくと椎間板ヘルニアとのことでした。

ブロック注射を打ってもらい、湿布と飲み薬で3日程安静にしていましたが、たった3日家にいただけで妻からは冷ややかな視線を向けられ、心身ともにすり減っていきました。

職場からは早く戻ってこいと言われ、コルセットをきつく巻いて仕事に出ましたが、地獄のような辛く長い時間でした。

今の仕事を辞めると家族が生活していけないのでこれ以上休むこともできず、仕事柄、職場にもヘルニアになった人は多く、今も痛みと戦いながらだましだまし働いているそうです。

しばらく頑張りましたが正直自分はもう辞めてしまいたいです。

しかし学歴のない自分が転職しようにも、ろくな仕事につけないだろうと思うと決心がつきません。接客なんてしたこともないし、パソコンもまともに使えません。

このままズルズルと痛みに耐えながら働き続けると思うと憂鬱です。

 

経験者としてのアドバイス

ヘルニアの治療には時間がかかります。可能ならば安静にして自然治癒に任せる保存療法が最良ですが、場合によっては手術という道もあります。

今は傷も小さく日帰りで行える手術もあるので、まずはお住まいの地域の病院を調べてみてはいかがですか?当然、手術にはリスクがあるので、そこもきちんと調べておきましょう。

保存療法をとるなら、最長一年半は健康保険から傷病手当てが出ます。これを生活費と治療費に当てて、きちんとヘルニアを治してから仕事に復帰するか転職するかの決断をするという方法もあります。

 

療養中は時間はあるので、転職サイトで仕事を見てみるだけでも気持ちが前向きになりますよ!自分は肉体労働だけしかできないと言うのも思い込みかもしれませんよ?

それに、実際は事務職でもヘルニアになる人は多いようです。座りっぱなしというのも腰への負担が大きく、運動不足も原因のひとつです。

転職することが正解とは言えませんが、一度辞めたいと考えた会社であと何十年も働くのは辛くはありませんか?他にどのような仕事があるのか見てみることで、自分にできそうな仕事やより条件の良い会社が見つかることもあります。

もしかすると、今の仕事が実は恵まれていたということもあるかもしれません。いずれにせよ、今の仕事との向き合い方が変わるでしょう。

また、家族や友人以外には言えない今後の仕事の不安も、第三者にはすんなり言えるものです。誰にも言えなかった不安や不満を吐き出すことで心が軽くなりますよ。

ストレスや不安もヘルニアの治療の妨げになるので、利用してみてはいかがですか?

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夫がヘルニアになり、今後が不安。 30代男性の妻 製造業

現在32歳の夫は、製造業の会社に勤めており、拘束時間が長く、いつも朝は早く、夜は遅くまで働いていました。

残業代がきちんと出る会社だったため、お給料には感謝していましたが、本人は睡眠時間が短くて疲れがとれずに辛いとこぼしていました。

腰痛肩凝りは慢性化し、ついにある日の仕事中に我慢できない程の痛みが走ったそうです。

そこからは数ヵ月間休職することになり、共働きなので私の給料と保険で今まで通りの生活はできていますが、あとどれだけこの状態が続くのかわからず不安です。

現在子供はおらずそろそろと考えていましたが、当然その話もなくなり、激しい痛みに耐えているのもわかりますが、少しずつ不満が募ってきました。

「そろそろ復職しないとクビにはならない?本当はもう働けるんじゃないの?」と考え出したらどんどん溢れ出してきて止まりません。

夫と話し合いを何度も繰り返していくと、始めは治ったらすぐにでも戻ると言っていたのが、少しずつ辞めたいという意見に変わってきました。これには納得できず、考え直すように言いましたが、本人の気持ちはもう復職には向いていないようです。

今の年齢で新しい仕事がすぐに見つかるとも思えませんし、当然給料も下がるでしょう。夫は定時で帰れる仕事を希望していますが、そうすると残業代の分までなくなります。

再発の恐れがあるヘルニアは完治のない病気とも言われているようで、働けるようになってからもそのリスクを背負っていかなければいけません。

そう思うと、やはり夫が希望するとおりに転職を応援すべきなのでしょうか?

 

経験者としてのアドバイス

ヘルニアを経験した身としては、まずは先にヘルニアを治すことに専念して欲しいと思います。

私自身も椎間板ヘルニアになりましたが、あれは我慢できる痛みではありません。私の場合は、発症してから働けるようになるまで半年かかりました。奥様の不安ももっともですが、今はご主人が一番不安に思っているのではないでしょうか?

私は療養中、元通り歩くことができるのか、日常生活を送れるのか、本当に不安でした。仕事ができるまでに回復した今でも、痛みがなくなることはありません。

これからあと30年は働かないといけないので、今は安静にしてしっかり療養するべきだと思います。

体は資本です。今無理をして現状よりもさらに悪化させては、より困難な事態に陥ってしまうかもしれません。

不安な気持ちや不満に感じることも当然あると思いますが、あまり追い詰めて心まで病んでしまうと、復職までさらに時間がかかってしまうでしょう。1日中ゲームばかりしているとかなら蹴飛ばしてもいいと思いますが…..。

辛い時期ですが、協力して乗り越えてほしいです。

 

転職に関しては、一度どんな仕事があるかだけ見てみてはいかがですか?体は動かなくても、頭と手は動かせますから仕事を探すことはできます。

私の場合は、体がよくなったらどんな仕事をしようかと、求人サイトで仕事を見ていると前向きな気持ちになれました。

また、サイトによっては担当のコンサルタントが付いてくれますので、現状を相談するだけでも心が軽くなりますよ!そういう人達は、多くの案件を扱ってきているので、的確なアドバイスをたくさんしてくれます。

働けない間でもできることはたくさんあります。まずは体をしっかり治し、すぐに行動に移れるよう下準備をしておきましょう!

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ヘルニア発症から退職。焦った結果、一度目の転職は失敗しました。 20代男性 接客業

私は今年で29歳になります。性別は男です。

大学卒業後から勤めていた会社で、業界は伏せますが接客業をしていました。接客業と言っても商品の搬入などで意外と力仕事が多く、学生時代から腰痛もちの自分は、27の時に椎間板ヘルニアになってしまいました。

繁忙期を目前に控えていたので、すぐにでも手術をして欲しく、話を聞こうと病院へ行きました。ですが、その反応は自分の思っていたものと違い、20代と若いので自然治癒に任せる待機療法がいいとのことでした。

自分のなかでは、ヘルニアになったら手術をして治すものだと思っていたので、そういった治療法は初耳で、手術のリスクを聞くと待機療法をした方がいいように思えました。

しかし、今仕事を長期間休むとなると周りにはすごい迷惑をかけてしまいます。(ただでさえ休みがとれていない状態でした。)

病院でブロック注射を打ってもらうと少し楽になったので、翌日は朝に痛みはありましたが出勤しました。しかし、昼前には痛みで立ち上がれなくなり、結局早退することに。余計に迷惑をかけてしまい、何をしても悪循環になる気がしてどうしていいのか分からなかったです。

ネットで調べてみると、年齢に関係なくヘルニアはなるようで、若い人でも自分と同じようにヘルニアで苦しんでいると知ると、少し心が軽くなりました。その時に、ヘルニアは悪化すると車椅子生活にまでなってしまうという話を読み怖くなりました。

ようやくまずはしっかりヘルニアを治そうという決心がつき、会社には無理を言って長期の休みをいただきました。意外とすんなり受け入れてもらえ、他店からも応援を回してもらえるようでした。自分が考えていたよりも会社は上手く回るんだと知り、無理をせず早くから休んでおけばよかったと思いました。

休みの間も、職場の上司には現状報告として連絡を取っていましたが、休みを取って一ヶ月が経った頃、「いつ頃戻れるのか?復帰する意思はあるのか?」と聞かれるようになりました。

私はヘルニアについて調べ、病院の先生にも話を聞いていたので治るのには時間がかかるのはわかっていましたが、上司や会社の人はそうではありません。上司のなかでも「ヘルニアの治療と言えば手術!」だったようで、いつまでも手術を受けない自分に不信感を持っていたそうです。

待機療法について説明してもなかなか理解してもらえず、私への接し方も辞めさせようとしているのでは?と思えるようなものへ変わっていきました。

私は仕事そのものや職場の人たちが好きだったので、当然続けるつもりでいましたが、上司の態度を受けて、今自分は職場でどういった扱いをされているのか、怖くて仕方がありませんでした。

このまま辞めて、「やっぱり戻ってこなかった。」と思われるのも嫌でしたが、会社からのプレッシャーに耐えきれず退職することにしました。

辞めてからは解放感があり、すごくスッキリしました。転職への不安もありましたが、ヘルニアになった自分に対する会社の対応を見て、これからもずっとこの会社で働いていくのは御免だと思えたのはよかったです。

その後さらに3ヶ月間、自宅で安静にして過ごし、まだ腰が重かったのですが少し回復してきたので転職活動に向けて動き始めました。周りの友人はバリバリ働いていたので焦りもありましたが、これが最大の失敗でした。

運よく最初の一社で内定を頂けたので、そこで働くことにしましたが、久しぶりの仕事は身体的に辛く、新しいことを覚えなくてはいけないプレッシャーと、入社したばかりなので誰よりも動こうとした結果、ヘルニアの痛みがぶり返してきました。

まだ研修期間だったため、結局その会社はそこで辞めることになりました。せっかくよくなってきていたのに無理をしてしまった結果、さらに3ヶ月間療養し、復職までに余計に時間がかかってしまいました。

次の転職活動では仕事がなかなか決まらず苦労しましたが何とか決まり、現在は腰に気を付けながら働いています。

 

経験者としてのアドバイス

現在は転職が成功してヘルニアの再発に気を付けながら働いているということでしたが、療養中の焦りから判断を誤り、無理をした結果さらに治療に時間が掛かってしまいましたね。

これを読んでいるあなたも同じ心境だとしたら、焦るのは仕方がないかもしれませんが、まずはヘルニアをしっかり治すことに専念しましょう。

20代ならこれからあと40年は働かないといけません。だましだまし働いていても、もし4,50代で働けなくなったらもっと大変ですよ?

入社して3,4年目は、仕事を任されるようになって責任意識が高くなり、休むことさえ躊躇するかもしれませんが、実際はあなたひとりが抜けても会社は回ります。

私も同じでした。今思うと、何故会社のためにあそこまで自分を犠牲にして命懸けで働いていたのか….。なによりもまずは、自分の身体を第一に考えましょう!

 

休職後も復職できるならそれが一番いいですが、長期の休職後では会社からのプレッシャーと自分の気持ちの問題で難しくもあるでしょう。

しかし、なにも仕事はひとつだけではありません。外にも目を向けてみるとより条件のいいところは意外と多いものですよ。定年まで働くことになる会社は今のままでも大丈夫ですか?

私の周りには、転職したあとに「前の会社の方がよかった。」という人は一人もいません。私自身もヘルニアが原因で転職しましたが、腰に負担の大きかった前職より、仕事内容や勤務時間など、転職して本当によかったと思っています。

何よりもまずは、しっかりと身体を休めることが大事ですよ!

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椎間板ヘルニアになり、仕事を辞めタクシー運転手に転職しました。 40代男性 事務職

私は今年で44歳、現在は転職してタクシードライバーをしています。

椎間板ヘルニアを発症したのが38の時。そして治療に4ヶ月間、再就職に半年かかり、40歳になるぎりぎり手前で再就職をはたしました。

当時は、デスクワークが主な仕事で重たいものを持つと言えば書類の束程度でした。運動不足も深刻で、歩くと言えば通勤時の自宅から駅、駅から会社の2,3km程度。すっかり肥満体型になってしまいました。

重たい荷物を持つことはありませんが、長時間座っているのは辛く、座布団やコルセットなど色々試してはいましたが、結局軽度のヘルニアになってしまいました。

お医者様が言う治療は、手術はせずに自己治癒力に頼るというものでした。あとは体重が重いと腰に負担がかかるので、ダイエットをするようにも言われました。また、運動不足も指摘され、痛みがなくなってから体幹トレーニングをするようにと。

動くのも辛かったので、仕事は勤務時間を減らした在宅勤務を認めていただき、腰痛の根本治療とダイエットを決心しました。

また、腰が痛くなったのは働き始めてからで、仕事が原因であることは間違いないと感じていましたので、労災が下りるか経理に確認しました。

しかし、腰痛での労災認定はとても難しいようで、ネットで調べてみても、腰痛のような目に見えず実際いつ発症したかわからないものには労災は降りにくいようです。結局申請は出しませんでした。

 

ヘルニアの痛みは辛いものでしたが、しばらく仕事に行かなくていいのは正直に嬉しく思いました。

妻は、私が腰痛でずっと悩んでいたことを知っていたので、いい機会だからと療養とダイエットにも協力的でした。小言を言われるかとも思いましたが、この時は本当に心配してくれていたようです。

ちなみに私達には子供はおらず妻との二人暮らしなので、在宅勤務でお給料が減りましたが生活には問題ありませんでした。

経過が順調だったある日、何気なくパソコンでヘルニアの人が選ぶ仕事を見てみると、今よりも魅力的な仕事が多くありました。事務仕事は確かに体力的には楽に思えるでしょうが、座りっぱなしというのも辛いものであり、また周りは女性が多く肩身の狭い思いをしていました。

一度転職に目を向けてしまうと、気持ちが揺らいでしまい、年甲斐もなく新しいことに挑戦してみたくなりました。

妻には転職を説得できるだけの材料を集めてから打ち明けようと、しばらくは内緒にしていました。しかし求人サイトを見ても、年齢的に該当する募集が少なく手詰まりでした。

そこであるサイトに紹介されていた、無料で登録できる転職相談コンサルタントを利用しました。最初は半信半疑で、自分より一回り以上も年下の担当者に希望を伝えて相談していました。

すると、私ひとりでは探し出せなかった企業の応募を持ってきてくれ、腰痛持ちの多くの人が選ぶ職種の紹介など、様々な面で転職のサポートをしてくれました。

もちろんどんな職業でも腰を痛める可能性があるでしょう。担当の方には、事務職は腰痛持ちの人達が就きたい職業なので考え直しては?とも言われました。

しかし私にはもう戻るという考えはなくなってきており、すぐにでも退職して本格的に転職に動き出そうとさえ考えていました。そう決心して妻に相談したところ、当然大反対で、腰を痛めているなら事務職が一番いいという意見でした。

話すと長くなるので省きますが、なんとか説得して転職は認めてもらえましたが、一度復職して働きながら転職活動をすることが条件でした。

 

そしてヘルニアの療養期間は終わり、職場に復帰しましたが、数ヵ月離れていただけでなんだかもう居場所がないというか、思い込みかもしれませんが疎外感を感じました。

それが余計に早く転職してしまいたい気持ちに拍車をかけ、様々な企業の面接を受けましたがことごとく不採用で、コンビニや焼き鳥などのチェーン店のオーナーも考えました。それだけは止めてくれと妻に言われたので諦めましたが、正直今でも憧れはあります。

時間だけが過ぎていき、転職も諦めようかと頭によぎった頃、タクシードライバーの応募が目につきました。タクシードライバーも長時間座っている仕事ではありますが、勤務体系から割りと自由な時間が多いようで、それなら運転と運転の間にストレッチを挟めば自分にもできそうだと最初は軽い気持ちで面接を受けました。給料は歩合の部分があるので、今よりも大きく下がってしまいますが、なによりもその自由な働き方に憧れがありました。

結果、タクシードライバーに転職しました。同世代の転職組も多く、ドライバー同士で仲良くしてもらっているので今はすごく楽しいです。

腰痛に関しても今の会社に聞くと、確かに昔は多かったようですか、振動やシートなど車も進化しているので、昔ほど腰に負担がかかることはなくなったそうです。それでも油断は禁物で、毎朝毎晩と、さらに仕事の合間に身体をほぐしています。

そしてダイエットも成功し、一年で10kg落とせました。今は心も体も物理的に軽くなり、楽しく仕事をしています。

 

経験者としてのアドバイス

一般的に恵まれた環境のように思われている事務職ですが、腰痛に悩む方は実際多いようです。

また、ストレスも腰痛やヘルニアに大きな影響を与える要因のひとつです。タクシードライバーに転職してからはのびのび働けているようで安心しました。

今まで積み上げてきたキャリアを勿体なく思うかもしれませんが、価値観は人それぞれです。なかには我慢して今の仕事に耐える日々を送っている人も多いことでしょう。

周りの意見に流されずに自分を貫き、諦めずに転職活動を繰り返した結果、望んだ仕事に就けたこの方は本当に幸せなのでしょう。

まずは一歩踏み出すことが大事です。ひとりで行き詰まったときは、今は多くの転職支援サービスがあります。それらを利用してみることで、また新しい道が見えてくるかもしれませんよ!

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ヘルニアの苦しみが理解されず、辛いです。 40代男性 トラック運転手

トラックの運転手は腰痛に悩んでいる人が多い職業ですが、私もその内の一人です。

30代中頃で事業に失敗し、会社を畳んだ後は長距離トラックの運転手としてかれこれ10年は勤めています。働き始めた当初は、体力には自信があったので腰痛に悩むこともなかったのですが、40手前から少しづつ違和感を覚え始め、つい先日椎間板ヘルニアを発症しました。

トラック運転手は、長時間同じ姿勢で運転しているので、周りには腰痛もちが多いですが、自分には関係がない話だと油断していたのがいけなかったのでしょう。特に腰痛防止の対策は取ってこず、ヘルニアになってから焦っているとはなんとも情けない話です。

医者にいくと結構重度なヘルニアのようで、右足全体に激痛としびれが出てきました。この痛みが尋常ではなく、日に日に増してくるのでさすがに仕事には出られなくなりました。

しかし会社には、「今休まれては困る。みんな腰痛で辛くても働いているんだ!」と納得してもらえませんでした。倒産して路頭に迷っていたときに拾ってもらった恩義があるので強くは出れませんが、無理して働ける範囲の痛みでもなく、事故を起こしてしまうのは目に見えているので治療に専念させてほしいと拒否しました。

とにかく早期の仕事復帰を目指し、手術を検討しました。医者からは「安静にして痛みが引くの待ちましょう。」と言われたが、そんな悠長なことを言っている余裕は無いため、インターネットで調べて日帰りで受けられるレーザー治療を受けました。

治療費は非常に高額でしたが、今仕事を失えば年齢的にも再就職は厳しいものがあるため、背に腹はかえられません。手術はあっけなく終わり、痛みも驚くほど緩和していました。

それから一週間は様子を見ていましたが、痛みもほとんどなくなり問題無さそうなので、会社へ復職するための連絡を取ると、驚くことに退職を促されました。

自分は今まで一生懸命会社に尽くしてきました。休日でも急な仕事の依頼には答え、今回ヘルニアになるまで一度も休んだことがありません。会社から私への信頼なんてものは全くなく、必要のない存在なのだと知ると悲しくなり、頭を下げてまで戻ることはプライドが許しませんでした。どうせ戻ったところでぞんざいな扱いをされることは目に見えていましたから…。

今はなんとか、トラック運転手仲間のつてで別の会社でトラック運転手を続けていますが、いつかまたヘルニアが再発するのではないかという恐怖は常にあります。

なってみないとあの痛み、苦しみはわかりません。私のときは椎間板ヘルニアからの坐骨神経痛でしたが、外から見てわかるものではないので誰も理解してくれません。足がちぎれている方が楽なのではないかと思えるほどの苦しみでした。

あと20年は現役で働かないといけないので、今後は体に気を付けながら働こうと思わされました。

 

経験者としてのアドバイス

トラックの運転手は、その7割が腰痛持ちとも言われるほど過酷な仕事で、腰に不安がある方の転職先には敬遠されているほどです。

仕事に限らず、ヘルニアの症状がひどいときに運転することは危険で自殺行為です。周りを巻き込む可能性があるので絶対にやめてください。

40代になると、転職の求人は確かに少ないです。資格やキャリアなどの強みでもあれば、また変わってくるのでしょうが、そう上手くはいかないものです。

転職が難しいと言われている年齢の方でしたら、ひとりで悩むのではなく転職支援サービスを利用することをおすすめします。

「自分にはこれしかできない。」と言うのも思い込みであって、担当者に相談すればもっと希望に沿った転職先があるかもしれませんよ!

ひとりの力では限界がありますが、その道のプロに頼ることで新たな道が開けるでしょう。年齢問わず、転職の際には利用することをおすすめします!

 

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